金剛寺旧跡公園は、京王線高幡不動駅から徒歩で10分程度、高幡不動尊金剛寺の裏手の場所にある公園。高幡不動尊金剛寺を横目に通り過ぎて、住宅街のなかを歩いていくとたどり着きます。マンションに隣接している小さな遊び場です。
基本情報
大きさ | 180㎡ |
遊具 | スプリング遊具2つ、砂場 |
水飲み場 | 1つ |
ベンチ | あり |
トイレ | × |
駐車場 | × |
近隣 | 高幡不動尊 |
遊具
ブタとパンダのスプリング遊具と砂場がありました。鼻の特徴的な形状からブタに見えたのですが、緑色で豚らしからぬ色合い。もしかしたら違う生き物(カエルとか)かも?みんなに遊んでもらっているようで塗装が少し剥げています。砂場は囲いがあるけど、かどが面取りされているので子供がつまづいても怪我をしにくそう。
公園のようす
↓とっても小さなこの公園にも、由来板は設置してあります。
現在、公園は金剛寺の境内から少し離れた場所にありますが、昔はここも境内の一部だったんですね。
↓高幡不動尊金剛寺の境内は、現在でもなかなかの広さです。
七生村役場跡
↓日野市になる前、七生村だった頃の村役場がこのあたりにあったようで、公園の前の道路は七生村の主要な道路だったそう。
七生村役場の跡らしき建物や案内板などが無いので跡地について詳しいことは分かりませんが、こんな住宅街の中の小道がかつて賑わっていた(かも知れない)道路だったと思うと、感慨深いものがあります。
七生村について
七生村というのは、明治22年(1889年)7つの村が合併したことによりできた村です。高幡、落川、百草、三沢、程久保、南平、平山、の7つの村が合併しました。村制はなくなりましたが、地名は現在でも残っていますね。
明治22年は大日本帝国憲法が発布された年で市町村制も施行され、「明治の大合併」と呼ばれる市町村の大規模な合併がありました。市町村合併はほかに、「昭和の大合併」「平成の大合併」と、どんどん減少していきましたが、近年(平成26年以降)では市町村合併は行われていないようです。※総務省HPより。
町村合併促進法が昭和28年に施行されて、町村を減少させるべく合併が進んでいくなかで、七生村の人口は6,000人以下で合併を免れない状況だったそうです。
そこで日野町と七生村が、地域で最大の都市であった八王子市と合併する案があったのですが、八王子市の合併案は日野町や七生村で反対意見が多く、昭和33年に日野町と七生村が合併して、昭和38年に最終的に日野市となりました。
金剛寺旧跡公園の広さ
公園の面積は180m2、住宅街によくあるこじんまりとした公園です。走り回れるスペースは無さそう。マンションに隣接しているので、おそらく住民の方が主に使用していると思われます。
ベンチがあり駅からの帰り道、ひと休みするのもいいかも。訪れた日は真夏の晴天でした。ベンチにはほぼ木陰がなく日差しがジリジリと照りつけていたので、ひと休みはやめておきました。
植物
公園には白とピンクのムクゲが綺麗に咲いていました。ハイビスカスに似ていますよね。一般的によくハイビスカスと言われているお花は、ブッソウゲという名前のお花の事らしいです。ブッソウゲはムクゲと同じアオイ科フヨウ属です。英名だとフヨウ属自体をハイビスカスと言うよう。暑い夏の日にピッタリな見た目のお花で、開花時期も夏場。
地図
参考文献
『歩こう 調べよう ふるさと七生』日野市教育委員会発行、2021年